戦後日本経済史 (新潮選書) 野口悠紀雄
歴史を振り返る意味で、本書も貴重な資料となります。
入門経済思想史 世俗の思想家たちはグローバルな視点ですが、日本の戦後からバブル期を振り返ることで、日本が現在置かれている状況を理解できますね。
●電子政府の転換期
日本の電子政府が低迷している理由は、行政、ベンダー、国民(企業、個人)それぞれに起因するものがあり、「誰が悪い」と指摘することは困難です。
ですが、経済史・法制史などを紐解くことで、何となくでも根っこの部分が見えてきます。
こうした「根っこ」を無理に引っ張ってみたところで、ビクともしません。しかし、根が腐ってきたり、巨大な台風で幹が折れてしまった時は、意外と簡単に抜けてしまうかもしれません。
これが「時機」「頃合い」といったものなのでしょう。
電子政府に、そうした時機が近づいているのは確かです。
けれども、例えば「自動車ワンストップ」といったプロジェクトは、現在の体制で止めることや再発を防ぐことはできても、本当の意味でのワンストップ実現を追求できる「時機」ではなく、政府や企業にその実力や気概も不足しています。
●ほど良い距離感
その当時は当たり前で、組織に依存する限りは従うしかなかったようなことでも、時代が変われば非難される。そんなことが、現実社会ではしばしば起こり、電子政府もその例外ではありません。
そうした事態から身を守るために作者が意識しているのが、「ほど良い距離感」です。
行政、ベンダー、士業、企業(経済界)といった利害関係者と、つかず離れず、敬意と節度を持ってお付き合いするようにしています。
誰にでも長所と短所があり、視点を変えれば、長所も短所に、短所も長所になったりします。
バブルの中にいる時は、バブルとは気がつかない。あるいは、気がつかないフリをする。
そんな時でも、「ほど良い距離感」を保っていれば、相手に共感し過ぎることも、無愛想になってしまうことも避けることができると。
「ずるい」と思われるかもしれませんが、電子政府に「情け」は禁物なのです。
●情報の出し渋り?
本書で指摘される、今も昔も変わらない「官僚の3大得意芸」は
1)その時点の最高権力者に対する面従腹背
2)都合の悪い情報は一切出さない情報操作
3)自分達が必要であるとの最大限のアピール
官僚にとっての「最高権力者」は、「総理大臣」なのか「担当大臣」なのか「局長」なのかよくわかりませんが、これは企業でもあまり変わりませんね。
インターネット等が普及した現在、「情報操作」は困難になったと思いますが、「貸し渋り」ならぬ「情報の出し渋り」は作者も感じるところです。
電子政府評価委員会でも、情報の開示をお願いして、すぐにもらえる時と、もらえない時があります。また、もらえても「非公開でお願いします」と言われます。
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しかしながら、「もらえない」または「非公開」の理由は、そのほとんどが理由とは言えないものばかり。。
政府が保有する情報は、原則として「公開する」ものですから、こちらも理由を添えて何度かお願いすると、晴れて「公開」となります。これって、やっぱりちょっとおかしいですよね。
「自分達が必要であるとの最大限のアピール」は、電子政府においては、あまり積極的ではないようです。
「利用率の低迷」という現実に加えて、「行政の無駄遣いを減らせ」の流れもありますし、担当省庁全体の予算から見れば金額も些少で、重要度・優先度が低い(と認識されている)からでしょう。