行政改革(新版)、インプット重視は行政の大いなる勘違い
行政改革田中 一昭ぎょうせいこのアイテムの詳細を見る |
日本の行政改革に深く関わった著者による、これまでの取り組みの整理として。新版ということで、電子政府にも少し触れています。
本書を読んでつくづく思うのが、日本の行政は「インプット型」であるということ。(官僚歴が長い著者なので、本書の内容も「インプット」が中心となっています。)
つまり、「何々をやりました」が主で、その結果として「何が得られたか」「どんな効果があったのか」といったアウトプットやアウトカムが検証されない(検証するノウハウが無い)、仮に検証されても、結果に対して誰も責任を取らないということです。
「箱もの行政」も、「立派な施設を作りました」というインプットで、「行政が責任を果たした」という勘違いから生まれるものです。
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なぜにそうなるかと言えば、「行政は法律に基づいたものである」という原則があるからです。
法律では、基本的に「インプット」が重要視されます。例えば、「公告」という制度。この制度は、「官報や公報に情報を掲載した」というインプットが主であり、その情報を「誰が見た」とか「何人が見て理解してくれた」といったことは重要ではありません。
これが「広告」となれば、「見て欲しい人に情報がきちんと届いたかどうか」が重要視され、雑誌の発行部数やテレビの視聴率、さらには商品の売上向上率といった指標で結果を測るわけです。
以前、電子政府でも、オンライン申請のウェブサイトの「フィンガープリント(指紋になぞらえた認識番号)」なるものについて、争いが起こりました。
フィンガープリントを検証すれば、「そのウェブサイトが、本当に政府のサイトなのか確認できる」というものなのですが、この「フィンガープリント」を国民に知らせる方法に苦労しました。
なぜなら、政府がいくら自分たちのウェブサイトに「フィンガープリント」を掲載したところで、そのウェブサイトの真偽が疑われているわけですから、説得力が無いのです。。
そこで政府が考えたのが、「官報への掲載」です。「フィンガープリントを官報に掲載した」というインプットで、これまでと同じように政府としての役割と責任が果たされたと主張したわけです。
この主張は、法律論で言えば確かに「正しい」と言えなくも無いのですが、セキュリティの観点からは明らかに「不十分で不適切」です。だって、官報なんて一般国民はほとんど見ませんから。。
作者が参加する電子政府評価委員会でも、各事業に対してインプット・アウトプット・アウトカムをそれぞれ提示することになっていますが、アウトカム(成果)まで提示される事業はごく少数です。つまり、求めるべき成果すら決めずに多額の税金を使っているのです。なんと、恐ろしいことでしょうか。。。
このように、「結果や効果を重視する」という当たり前の主張は、しばしば政府側の主張と対立し、議論しても平行線をたどるということが起こります。
そもそも「何を重視するか」という価値観が違うわけですから、それも仕方が無いと言えます。
しかしながら、行政が「インプット」ばかりを重視することは、実は大きな勘違いなのです。実際に個々の法律の目的(条文の冒頭に明記されます)を読めば、すぐにわかることです。
この「大いなる勘違い」について、ここ30年ぐらいのうちに「行政改革」による見直しが世界的に行われてきました。
そこでは、アウトプットやアウトカムが重視され、中長期の視点で仮説・予測・観察・検証・見直しが繰り返されることになります。
作者が関与する電子政府でも、ようやくアウトプットやアウトカムが注目されるようになりましたので、少しだけ明るい未来も見えてきました。
ということで、今年もがんばりましょー
官報
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