国民電子私書箱は本当に必要か、年金記録の確認に限って言えば「必要なし」
国民電子私書箱は、一見すると「便利なサービスができるなあ」と思うかもしれません。
しかし、インターネット上で提供される「個人情報の総合管理ツール」のようなサービスで、作者の知る限りでは、これまで成功した例(何百万人もユーザーを集めている)を聞いたことがありません。
現在の資料から判断する限りでは、残念ながら、「国民電子私書箱」が成功する(例えば、国民の1割=1300万人が利用するようになる)ことは、かなり厳しいでしょう。
●年金記録は、今でもオンラインで確認できる
例えば、情報通知サービスの目玉商品とされている「年金記録の確認」について考えてみると
簡単に利用できるオンライン行政サービスを増やすべきで述べたように、自分の年金記録を確認する方法は、いくつも選択肢があります。
1 年金見込額試算(オンライン申請:ウェブサイトから申込み、結果を郵送)
2 年金加入記録照会・年金見込額試算(オンライン申請:電子署名方式、結果はオンラインで)
3 年金個人情報提供サービス(オンライン閲覧:ユーザID・パスワード方式)
4 ねんきん定期便(オフラインサービス:郵送)
5 社会保険事務所等での確認(オフラインサービス:窓口・対面)
6 「ねんきんダイヤル」等の電話相談(オンラインサービス:電話)
年金個人情報提供サービスは、すでに140万人以上の登録があり、多くの利用実績があります。
現在は「ねんきん定期便」があるので、わざわざ窓口に行かなくても、インターネットを利用しなくても、自分の年金記録を確認できます。
だいたい、年金記録などは、銀行の預金残高などと違って、ちょくちょく確認するものではありません。一度確認すれば、次の確認は数年後でもかまわないでしょう。
つまり、「年金記録」に限れば、国民にとっては「国民電子私書箱」など無くても、全く困らないのですね。
●国民背番号への過信も禁物
ところで、年金記録の問題については、
「社会保障番号」などの国民IDが無ければ、また同じようなことが起きる。
といった主張があるようですが、作者の問題意識は少し異なります。
確かに、「社会保障番号」などの国民IDがあれば、年金記録の管理はより容易になるでしょう。外字問題を補うツールとしても有効です。
しかし、社会保障番号(国民のID管理)の議論が活発になるかで解説したように、国民IDの導入は効果が保証された万能薬ではありません。「副作用ばかりで全然効かなかった」なんてこともあり得ます。
早い話が、「どんな仕組みであろうと、間違いは起きるし、悪いことをする人は出てくる」ということ。
年金記録における最大の問題点は、「本人が年金をもらおうとするその時までに、自分の年金記録内容を確認することも無く、何十年間も放置していた」ことにあります。
定期預金などを毎月積立ていたら、その残高ぐらいは定期的に確認するはず。なのに、年金を当てにしながらも、もらえる年金の額と直結する年金記録について、何十年間も全く確認しない(または、それで良しとする)のは、国民側の怠慢でしかありません。
もちろん、「もらえないのは自己責任だ」とまでは言いませんが、自分以外の誰かに(この場合は行政に)責任を押し付けたとしても、その責任は無くならないのですね。
「年金の支給」を自分の権利と主張するのであれば(作者自身は権利と思っていませんが)、その権利を守るための最低限の行為、すなわち「定期的に自分の年金記録を確認する」ことが必要なのです。
先に述べたように、現在は「年金記録の確認」について様々な選択肢があり、本人が積極的に行動しなくても、「ねんきん定期便」で記録が送られてきます。
ですから、過去の年金記録の訂正等は別として、今後の年金記録については、あまり心配する必要は無いのです。
電子政府の設計思想としても重要な「エラーに対して寛容である」仕組み。すなわち、
1 記録内容を本人が定期的に確認する仕組み
2 そこそこに記録管理してくれる年金記録システム
3 もし間違いが発見されれば、速やかに修正できる仕組み
この3つさえあれば、少なくとも年金記録に関しては「社会保障番号」は必要ありません。
これは、「社会保障番号」のような国民IDが不要であるという意味ではなく、「年金記録」や「社会保障」といった一側面から国民IDについて議論すると、全体としての方向性を見誤る可能性があるということです。
●心配すべきは、「年金記録バブル」と「新たな電子政府バブル」
年金記録に関して、より心配すべきなのは、年金記録バブルに踊らされないためにで触れたように、「社会保障バブル」「年金記録バブル」とも言える動きです。
加えて、三か年緊急プランによる「新たな電子政府バブル」がやってくるので、
たいして必要とは思えないシステム(=将来、負の遺産となる)が、どんどん構築されていくことは、避けられないように思います。
作者は、こうしたバブル的な動きによって電子政府が本質を見失ってしまうことを、とても心配しています。
国民の皆さんが、「本当に、それって必要なの?」という視点から、電子政府を監視してくれることを祈るばかりです