番号制度とインターネットにおける倫理観、過去の事実は誰にも消せない
ソーシャルウェブのエートス~〈無情社会〉を避ける「お互い様」の精神というブログを読みました。
個人的には、ウェブ上の倫理観は、リアル社会の倫理観と同水準になると思います。つまり、日本における民主主義の成熟度、文化・教育水準や教育内容などが、ウェブ上の倫理観にも大きな影響を与えているということです。
ウェブが好きな人は、ウェブを特別視したがる傾向があるように思います。作者自身も、インターネットは大好きですし、その可能性を考えただけでもワクワクします。しかし、過大な評価は禁物とも考えています。大切な友人のように、一定の距離を置きながら、長く付き合っていきたいと思っています。
上記ブログの参考にもされているのが、米国OpenID Foundation理事長である崎村夏彦氏による「無情社会と番号制度~ビクトル・ユーゴー「ああ無情」に見る名寄せの危険性」という記事です。作者のブログ、電子政府における個人情報とプライバシー、本人が望まない名寄せが許される理由でも、参考情報としてご紹介させて頂いています。
作者の考え・見方は、崎村氏と少し異なります。
まず、番号制度と無情社会は、ほとんど関係が無いということです。
中国の人肉検索などを見ればよくわかりますが、ターゲットになった人の氏名、住所、家族情報、過去の経歴などが、あっという間に調べられて、ネット上で暴露されてしまいます。
その状況は、ネット上で匿名か実名かとか、番号制度があるとか無いといったこととは何の関係もありません。その人が、過去に一度もインターネットを使っていなくても、新しい情報が次から次へネット上にあがってきます。
何らかの理由で他人や公衆のターゲットにされると、過去の事実はもちろんのこと、あること無いこと嘘の情報まで、ネットという便利で効率的なツールを使って公にさらされてしまうのです。もちろん、本人の意思や同意などとは無縁の世界です。「自己情報コントロール権」など、何の役にも立ちません。
例えば、「番号制度の導入を推進する政治家が、過去において番号制度を反対していた」という情報は、その当時からネット上に存在した場合もあれば、最近になって当時の発言や映像を誰かがネット上に載せる場合もあります。
「インターネットが過去を忘れない」のでもなければ、「インターネットが過去の過ちを許さない」のでもありません。過去の記録や人々の記憶が何らかの形で残っている限り、ちょっとしたきっかけさえあれば、ネット上の話題になってしまうのです。
過去を完全に消し去ることなど、誰にもできないのですから、過去の自分や事実と向き合い、過去を前提として今を生きて未来を作っていくしかないのです。
ネットの世界が、リアルと異なる特別の世界や社会であると考えたい気持ちは何となくわかります。しかし、インターネットは情報を提供・頒布・拡散させるための手段であり、リアル社会を映す鏡でしかありません。
ちなみに、個人情報の分類では、4情報(氏名、住所、生年月日、性別)と共に、番号も「公知の個人情報」として位置づけられます。個人情報保護の対象にはなりますが、法令等に基づいて公開される場合があるということです。「運転免許証や健康保険証などの券面に記載される情報」と理解しても良いでしょう。