技術とお金があり過ぎた日本の電子政府
池田信夫氏のブログに優秀な技術者と無能な経営者というエントリーがありました。電子政府においても、「技術者が優秀だから経営者が無能」とまでは言いませんが、日本の技術力が電子政府に与えた影響は少なく無いと思います。
ITバブルが膨らむ中で、電子政府への期待も大きかった2000年前後において、日本の電子政府は明らかにオーバースペックで高機能・高コストでした。日本で作られる電子政府サービスは、諸外国の同じようなシステムと比べて10-100倍ぐらい高いのです。しかも、肝心のサービス品質やユーザビリティが重視されないために利用が増えず、費用対効果ではその差がさらに広がります。
日本の技術力もあだとなりました。政府からの過剰な要求に対しても、実現してしまう技術力があったため、お金さえもらえれば、業務の簡素化をしなくてもシステムを作り上げてしまうのです。
電子政府で台頭した欧州やアジアの国々は、日本に比べると技術力に乏しく、電子政府のために使えるお金も限られていました。過剰な要求でコストが膨らむ場合は、事業をあきらめるか、業務の簡素化・改革を行った上で、実現可能な要求やコスト水準に抑える努力が必要になります。
このように、日本の電子政府は、技術とお金があり過ぎたゆえに「使われない電子政府」になってしまったという側面があるのです。
また、電子政府が「新しく作り上げるもの」で、日本が得意とするキャッチアップ型に馴染まなかったことも、電子政府で苦労した理由の一つと言えるでしょう。
どのようなサービスをどのような手段で提供するべきか、どのように開発して維持管理・更新していくかという方法が確立されておらず、どの国も手探りの状態で電子政府に取り組んでいました。ドッグイヤーと呼ばれるインターネットの変化スピードに対応するためには、これまでのようなやり方はあまり通用しなかったのです。
現在は、電子申請の低価格化(適正化)などが進み、以前よりは(利用者視点からの)サービス品質やコストが重視されるようになりました。
今後、クラウド化が進む中で、さらなるコスト削減を実現し、変化への迅速・柔軟な対応が可能になれば、日本の電子政府にも少しだけ希望が見えてくるでしょう。
とは言え、電子政府ができることには限界があり、肝心の行政改革や社会システムの再構築が進まなければ、大きな変化は期待できません。日本の電子政府は、日本のITベンダーと共に、さらなる厳しい時代を迎えつつあるのです。