市民館の役割とボランティアの自立

早いもので、日本語学級のボランティアを始めて、今年で11年目となった。楽しいことが多いので続けてこられたが、心配な点もある。それは、ボランティアの自立という問題である。

私が参加しているのは、川崎市教育委員会幸市民館で行われる日本語学級である。川崎市が主催なので、事務局は市民館の職員が担当してくれている。

そのおかげで、ボランティアは学習活動に専念できるのだから、大変感謝している。しかし、その一方で、いつまで経ってもボランティアの自立が進まないという面もある。

日本におけるボランティア活動は、まだまだ未成熟と思うのだが、行政の関与(保護)が成熟を妨げているケースもあると思う。

それは、各ボランティアからの声を聞いてもわかる。

聞こえてくるのは(多くはベテランボランティアからである)、他のボランティアと行政への不満・苦情が圧倒的に多い。これは、まだまだ「お客様意識」が強いからではなかろうか。

つまり、「行政が主催の団体にボランティアとして善意で参加してあげている」のだから、行政はもっとしっかり仕事をしろという感じである。これでは、ボランティアの自立は進まないはずだ。

これに対して、行政の関与を受けずに市民が主体となって運営される日本語学級も存在する(ボランティアグループ紹介:川崎日本語連絡会)。そこではボランティアが、学習活動だけでなく、場所の確保、事務連絡、広報活動、会計処理など面倒な仕事を全部こなしているのである。

今後は、公民館の役割、そして運営形態も変わってくると言われる。

実際、現在のようなコスト高で運営効率の悪い公民館である限り、潰されても仕方がないと思う。

もちろん、各地域において、学習等の市民活動の「場」を提供し、必要な場合は最小限のサポートをするという機能を持つ施設は大切である。

しかし、これは給料の高い公務員を使わなくてもできること。特に都市部の公民館であれば、黒字経営も十分に可能なはずである。

全国公民館連合会のような団体があるので、少なからずの利権が存在し、公民館の民営化や職員・設置数の削減については、抵抗もあるだろう。

しかし、本当に公民館が必要と思うのであれば、形にこだわらず、中身(実質)を充実させ、市民の自立心を育てることが大切と思う。

ところで、データで見る公民館によると、長野県の設置数と分館数(エラーと思えるくらい)が特に多い。これでは、税金の無駄遣いと言われても仕方ないだろう。

という感じで、ボランティアをしていると、職場や仕事では見えてこないものが見えてくる。行政の現場における変化、市民からの生の声などを、一人の市民として肌で感じることができる。今後も、地域活動への参加を続けていきたい。

電子政府・電子申請の関係者にも、(仕事ではなく)市民として現場を覗いてみることをオススメします

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