桜を見る会のバックアップデータは「行政文書ではない」の意味
Facebookやブログで、「廃棄のバックアップデータ「行政文書ではない」 菅長官」という朝日新聞の記事を紹介しました。
「バックアップデータは行政文書でない」という解釈は、普通に考えれば「おかしい」「納得できない」と言われそうですが、日本における情報公開制度や公文書管理制度の下では、それほどおかしな解釈ではありません。公文書の電子化や電子文書について詳しい人でも、この辺りはあまり知られていないようなので、少し解説しておきたいと思います
まず、朝日新聞の記事にある「菅義偉官房長官の記者会見」を見てみましょう。
3分55秒くらいから、「招待者名簿」に関する質問があり、5分30秒くらいから官房長官による「バックアップデータ」に関する説明があります。その後、16分30秒くらいまで関連する質疑応答が続きます。
実際の会見を見ると、朝日新聞の記事は官房長官の発言をそのまま引用しており、特に修正していないことがわかります。また、記事には無い説明として13分15秒頃からの「内閣府のバックアップデータについては、一般の職員が取り出すことができず、業者に頼まなければならない、取り出せない状況にあったと聞いており、それを前提にすれば、行政文書に該当しない」というものがあります。この部分は、かなり重要なポイントになります。
記事にある官房長官の発言は、大きく次の3つになります。
1)「招待者名簿については公文書管理法やガイドラインなどのルールに基づいて、あらかじめ保存期間を1年未満と定めた上で、それに従って廃棄している。(原本である)電子データの削除後、最大8週間はバックアップデータが保存されているので、5月7~9日ごろ、データを消去した後、最大8週間残っていたのではないかと思う」
公文書管理法やガイドラインなどのルールに基づいて、行政文書の保存期間や廃棄方法を定めていることがわかります。
2)「内閣府からは、バックアップファイルは一般職員が業務に使用できるものではないことから、組織共用性に欠いており、行政文書に該当しないとの説明を受けている。なお、情報公開・個人情報保護審査会の答申では、情報公開請求の対象となる電磁的記録とは、それを保有する行政機関において、通常の設備技術等により、その情報内容を一般人の知覚により認識できる形で提示することが可能なものに限られる、と解するのが相当であるとされているところだ。ですから、行政文書には該当しない」
ここで、「組織共用性」という用語が出てきます。いわゆる「電子データ」の形式であっても行政文書に該当するが、「組織共用性」の欠ける場合は、行政文書に該当しない。つまりは「行政文書ではない」となることがわかります。
3)「詳細は事務方に聞いていただきたい。通常は紙の文書の廃棄に合わせて、電子データも廃棄すると承知しているが、名簿はルールに従って廃棄しており、バックアップファイルは行政文書ではないという認識だ」
通常は紙の文書の廃棄に合わせて、電子データも廃棄するので、今回のケースは特殊な事情(処理作業時間の調整等)により、電子データの廃棄が遅くなったことがわかります。
行政文書とは
そもそも、「行政文書」とは何を指すのでしょうか。「公文書」との違いは、あるのでしょうか。
情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律)では、「行政文書」について第2条2項で次のように定めています。
この法律において「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。ただし、次に掲げるものを除く。
一 官報、白書、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数の者に販売することを目的として発行されるもの
二 公文書等の管理に関する法律(平成二十一年法律第六十六号)第二条第七項に規定する特定歴史公文書等
三 政令で定める研究所その他の施設において、政令で定めるところにより、歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料として特別の管理がされているもの(前号に掲げるものを除く。)
公文書管理法(公文書等の管理に関する法律)も見てみましょう。同法では、「行政文書」について第2条4項で次のように定めています。
この法律において「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書(図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)を含む。第十九条を除き、以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。ただし、次に掲げるものを除く。
一 官報、白書、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数の者に販売することを目的として発行されるもの
二 特定歴史公文書等
三 政令で定める研究所その他の施設において、政令で定めるところにより、歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料として特別の管理がされているもの(前号に掲げるものを除く。)
このように、少なくとも国の行政機関については、情報公開法と公文書管理法の「行政文書」の定義は同じものと考えて良いでしょう。
すなわち、「行政文書」として法的に認められるためには
1 行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書であって
2 当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして
3 当該行政機関が保有しているもの
という3条件を満たす必要があるのです。
今回の「招待者名簿」は「行政文書」ですが、その「バックアップデータ」は2の条件(組織共用性)を満たさなかったので「行政文書ではない」とされたのです。
情報公開法では、開示請求の対象を「行政文書」に限定していますので、「行政文書」でないものについては、少なくとも情報公開制度を利用して請求することはできません。現在の日本の情報公開法は、デジタル社会への対応が不十分な「行政文書開示請求法」なのです。
なお、公文書管理法の第2条第8項では、行政文書、法人文書、特定歴史公文書等の3つを「公文書等」と定義しています。「行政文書」は「公文書」の一種ですが、一般の人がイメージする「公文書」よりは、かなり範囲が限られたものと理解した方が良いでしょう。
組織共用性とは
行政文書の管理に関するガイドライン(平成23年4月1日内閣総理大臣決定;令和元年5月1日一部改正)では、第1総則の留意事項として、次のような記述があります。
どのような文書が「組織的に用いるもの」として行政文書に該当するかについては、文書の作成又は取得の状況、当該文書の利用の状況、その保存又は廃棄の状況などを総合的に考慮して実質的に判断する必要がある。
一般的な見地からは「行政文書」であると思えるものでも、その状態・状況により「行政文書ではない」とされる可能性があるのです。「行政文書」が電子データであった場合に、色々と問題が出てきます。
厚生労働省が情報公開制度に関連して「行政文書に関する判断基準(法第2条第2項関係)」を公開していますので、こちらを少し見てみましょう
「電磁的記録」とは、電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によって認識することができない方式で作られた記録を指し、電子計算機による情報処理の用に供されるいわゆる電子情報の記録だけでなく、録音テープ、ビデオテープ等の内容の確認に再生用の専用機器を用いる必要のある記録も含まれる。また、電子計算機による情報処理のためのプログラムについても、法第2条第2項ただし書に該当するものを除き、電磁的記録に該当する。
なお、「電磁的記録」には、ディスプレイに情報を表示するため一時的にメモリに蓄積される情報や、ハードディスク上に一時的に生成されるテンポラリファイル等は含まれない。
これを読むと、「電磁的記録」の範囲は、かなり広いことがわかります。情報処理上の一時的なデータを除いて、電子データであることだけの理由で「行政文書でない」と判断されることはありません。
「組織的に用いる」とは、作成又は取得に関与した職員個人の段階のものではなく、組織としての共用文書の実質を備えた状態、すなわち、当該行政機関の組織において、業務上必要なものとして、利用又は保存されている状態のものを意味する。
「行政文書でない(組織的に用いるものには該当しない)」と判断されるものとして、次のような例示があります。
1 自己研鑚のための研究資料、備忘録等
2 職員が自己の職務の遂行の便宜のために利用する正式文書と重複する当該文書の写し
3 決裁文書の起案前の職員の検討段階の文書等
電子データで問題となるのは、「正式文書と重複する当該文書の写し」です。通常、電子データの場合、「正式文書と重複する当該文書の写し」は「オリジナルの正式文書」との区別ができません。全く同じ文書であっても、片方は「行政文書」ですが、もう片方は「行政文書でない」とされるケースがあるのです。
この「電子文書の写し」は、特に「オリジナルの正式文書」が廃棄された場合に問題となります。記録上は「●年●月●日に廃棄された」とされる行政文書と全く同じものが、実は職員のパソコン等に残っており、それがコピーされて組織内を流通するといった事態が起きてしまう可能性があります。実際に、「自衛隊日報問題」という形で、このような事態が発生しています。この問題は、「情報の隠蔽」と指摘されることがありますが、「廃棄されたはずのデータのコピーが残っていた」という情報管理として好ましくない事案なのです。
厚生労働省の「行政文書に関する判断基準」の続きを見てみましょう。
作成又は取得された文書が、どのような状態にあれば組織的に用いるものと言えるかについては、
1 文書の作成又は取得の状況(職員個人の便宜のためにのみ作成又は取得するものであるかどうか、直接的又は間接的に当該行政機関の長等の管理監督者の指示等の関与があったものであるかどうか)
2 当該文書の利用の状況(業務上必要として他の職員又は部外に配付されたものであるかどうか、他の職員がその職務上利用しているものであるかどうか)
3 保存又は廃棄の状況(専ら当該職員の判断で処理できる性質の文書であるかどうか、組織として管理している職員共用の保存場所で保存されているものであるかどうか)
等を総合的に考慮して実質的な判断を行う。
としています。
官房長官の記者会見では、「内閣府のバックアップデータについては、一般の職員が取り出すことができず、業者に頼まなければならない、取り出せない状況にあったと聞いており、それを前提にすれば、行政文書に該当しない」と説明しており、今回のバックアップデータの「利用の状況」や「保存の状況」を考えると、組織共用性に欠けており「行政文書でない」と判断することは、少なくとも法的には特に問題が無いと言えます。
バックアップデータは、何だったのか
今回のバックアップデータが「行政文書でない」とすれば、いったい何だったのか。法的には、「行政機関が保有する情報」と言えます。名簿ということなので、「行政機関が保有する個人情報」とも言えます。個人情報については「組織共用性」といった条件はありません。
「行政機関が保有する情報」のうち、「行政文書」については開示請求ができますが、「行政文書」でなければ開示請求はできないということです。
今回のバックアップデータが「行政文書」とされるためには、
1 バックアップデータを復元して通常のパソコン等で閲覧できるようにした上で
2 組織として管理している職員共用の保存場所等に保存する
必要があります。
バックアップデータについては、情報管理の観点からも、組織の職員が自由にアクセスして勝手に復元やコピーできることは許されませんので、今回のバックアップデータの管理状況(組織共用性が無い状態)は、特に不適切だとは思えません。
復元しないのは違法なのか
東京新聞の記事に「桜名簿「復元しないのは違法」 元公文書管理委の弁護士指摘」というのがあります。
個人的には、「公文書管理法の抜本的な改正をしなければいけない」という箇所には賛成しますが、「保存期間一年未満の文書でも、議論になれば(一年以上保存の)歴史公文書として残す必要がある」というのは、さすがに無理があると思います。
公文書管理法の第2条第6項では、「歴史公文書等」を「歴史資料として重要な公文書その他の文書」と定めています。「桜を見る会」の「招待者名簿」が、はたして「歴史資料として重要な公文書」なのかと問えば、多くの識者は否定するのではないかと思います。
保存期間については、議論の余地があると思います。これまでの「桜を見る会」やそれに類似する催しについて、「招待者名簿」等の保存期間の設定がどうだったかを調べると良いでしょう。
なお、日本弁護士連合会では「公文書管理法制の改正及び運用の改善を求める意見書」(2018年12月20日)というのを出しており、「組織共用性」についても問題点が指摘されています。東京新聞の記事にある内容も、弁護士さんとしての希望・期待が含まれているのではないでしょうか。
デジタル社会に対応した「情報公開制度」と「公文書管理制度」
デジタル社会に対応した「情報公開制度」と「公文書管理制度」の事例として、エストニアがあります。
エストニアの制度は、現在の日本の制度とも違いますし、日弁連が提言するようなものでもありません。
日本の情報公開法に該当するエストニアの法律は「公共情報法(Public Information Act)」ですが、その範囲も基本的な考え方も、かなり異なります。公文書管理については、公共情報法でも規定しますが、別途「アーカイブス法(Archives Act)」という法律があります。
エストニアでは、日本のように「行政文書」とせず、「公共情報」として広く定義しています。「公共情報」には、当然に文書も含まれますが、「記録」という言葉が使われています。もちろん、日本のような「組織共用性」という条件(紙時代の名残り)もありません。行われるのは「情報の請求」であり、「行政文書の開示請求」ではありません。
現在の日本の「情報公開制度」や「公文書管理制度」は、紙で行う業務や情報管理を前提に作られていますので、そうした状況で「組織共用性」の条件だけ削除・変更しても、現場が混乱するばかりでしょう。
「公共情報」のデータガバナンスという観点から、抜本的な制度設計の見直しが必要と考えます。