食育について考える

最近では、「食育」という言葉が、一般的になりつつあります。作者は、食べ物を粗末にする行為は苦手ですが、周囲を見ると、割と無頓着な人もいます。戦前戦後の食べるのに苦労した人は、さぞかし食べ物を大切にするのだろうと思いきや、どうも、そうではないようです。。

食べるのに苦労した人は、その反動で「お腹いっぱいになるまで食べる」「好きなものだけ、たくさん食べる」「必要以上に、食料を買い込んだり、料理を作ったりして、食べきれずに廃棄する」となることも多いみたい。

では、どういう人が「食べ物を大事にする」かと言えば、
1 自分の体を大切にする人
2 親から「食べ物を粗末にしてはいけない」と言われてきた人

「自分を大切に出来ないと、他人も大切に出来ない」などど言われますが、「自分の体を大切にする」を追求していくと、自ずと体の仕組みや環境問題についても考えるようになり、「食べ物を大事にする」が当たり前になります。

例えば、古今東西の食事療法や栄養学を辿ると、病気の原因とされる習慣として「過食」が出てきます。

お腹が空いたら食べるのが基本なのに、
・一日三食きちんと食べなくちゃ
・一日30品目食べなくちゃ
・もったいないから食べなくちゃ
と日常生活の中には「過食」になる危険がいっぱい。。

こんな時、「自分の体を大切にする」を基本に、必要なものを必要なときに食べるようにすると、自ずと健康体になっていきます。同時に、「無駄なものは買わない作らない」と行動するようにもなります。

「過食」については、電子政府にも通じるところがありますね。

なぜなら、「新しい情報システムを作らなくちゃ」「ICカードを使わなくちゃ」と本末転倒の無駄遣いが行われるからです。

親から「食べ物を粗末にしてはいけない」と教えてもらうことは、もっと大切かも。

「三つ子の魂百まで」と言いますが、小さい頃から口を酸っぱくして言われたことは、やはり体に染み付いていますね。

私の友人でも、かなり裕福な家庭の出身なのですが、「食べ物を粗末にしないこと」にかけては、作者も感心するぐらい徹底しています。

話を聞くと、やはり両親からみっちり教えられたそうです。

ということで、子供時代は「親のしつけ」

大人になってからは「食べられることへの感謝の気持ち」や「自分の体を大切にして、健康であることに感謝する気持ち」を人生哲学に組み込めるか。

が大切かと。

現代の大人こそ、「食育」が必要なんじゃないかなあ

関連>>農林水産省:なぜ?なに?食育!!食育 – Wikipedia